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大阪地方裁判所 昭和57年(わ)3381号 判決 1984年4月20日

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中二五〇日を右刑に算入する。

押収してある(1)刺身包丁一本(昭和五七年押第八一一号の一)及び(2)金槌一丁(同号の二)を没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五五年九月ころから大阪市西成区山王三丁目二一番二号所在のグリーンハウス二階一六号室に入居し、妻朱美(昭和二二年五月一五日生れ)及び長男M(昭和四五年七月三一日生れ)との三人家族で、自らは就労することなく、妻を売春婦として働かせるなどして生活していたものであるが、中学校卒業後間もなくのころから、一時的な中断期間を除き、長期間覚せい剤を濫用し続けたため、かねてから慢性覚せい剤中毒(妄想状態)におち入つており、かつ当時も常用し続けていた覚せい剤の急性中毒症状として近隣らの物音、話し声などに対してきわめて過敏であるところから過去に覚せい剤購入先としてつながりを持ち、そのことを警察にしやべつたことでうしろめたさを感じていた増岡茂、及び、過去に入会したことがあるも熱心に信仰せず、かえつて御本尊を焼き捨てたりしたことで罪障感を持つようになつていた創価学会の関係者らが、右グリーンハウスの近隣の居住者たち、ことに両隣りの二階一五号室の松本(岩崎)方、同一七号室の村上方及び一階七号室の勝浦方の各家人ならびに当時の覚せい剤購入先である暴力団関係者らにまで手を廻わし、これらの者がぐるになつてことごとに被告人にいやがらせを働き、あげくに自己の妻子までもが被告人を裏切つてこれらの者に加担しているとの忘想をつのらせ、その被害感に日夜苦悩を深めていたところ、

第一  昭和五七年二月七日、前記自宅奥六畳間で午前二時ころに就寝したものの未明から熟睡できずにうとうとしていたところ、午前九時三〇分ころ「録音テープ」というような声が聞こえて目をさまし、これはかねていやがらせの話し声や物音を録音しておいたカセットテープのことだと思つてそれをさがしたが見当らず、傍らで眠つている妻朱美(当時三四歳)に「おまえテープは」と尋ねたのに対し、同女から「そんなもの知るか」と邪険な返事をされたため、同女がテープを誰かよその人間に手渡して素知らぬ顔をしているものと邪推して逆上し、とつさに同女を殺害しようと決意し、いつも枕もとのふとんの下に置いていた刺身包丁(刃体の長さ約二一センチメートル。主文三項(1)の物件)を手にするや、同女の腹部・胸部・腕部・左大腿等を多数回突き刺し、よつて同日午前一〇時三〇分ころまでの間に同所ないし搬送先である同区花園北二丁目一一番一五号大和中央病院において、同女を左上腕及び左大腿後上部の各刺創に伴う動脈切破に基づく出血失血により死亡させて殺害し、

第二  朱美を刺身包丁で多数回突き刺したのに引き続き、自宅表三畳間において、朱美の悲鳴で目をさまし布団の上に坐つていたM(当時一一歳)に対し、同人を殺害することになつてもやむをえないとの未必の殺意のもとに、「裏切つたな。」などと叫びながら、右刺身包丁でその胸部・腹部等を多数回切りつけたり突き刺したりしたが、加療約三週間を要する腹部・右前胸部・右上腕刺創、左前胸部・右前腕・左上腕・左前腕・左手指切創の傷害を負わせたにとどまり、殺害するには至らず、

右第一及び第二のとおり妻子に凶行に及んだ後、さらに日頃からいやがらせをしている近隣居住者らを殺害しようと決意し、刺身包丁を持つた右手にタオルを巻きつけ、奥六畳間から取出した金槌(主文三項(2)の物件)で玄関の鍵を叩き壊して部屋を飛び出し、午前九時三〇分過ぎころから同九時五〇分ころまでの間、

第三  まず右隣りのグリーンハウス二階一五号室松本秀雄こと岩崎秀雄方に入り込み、玄関脇台所にいた同人の内妻松本静子(当時四七歳)に対し、右刺身包丁でその胸部・腹部等を多数回突き刺し、よつて同日午前一〇時一〇分ころまでの間にグリーンハウス東側階段下ないし搬送先である同市浪速区湊町一丁目四番四八号富永脳神経外科病院において、同女を左側胸部刺創に伴う心臓・肺貫通刺創に基づく出血失血により死亡させて殺害し、

第四  さらに同室奥六畳の間にいた右岩崎秀雄(当時三四歳)に対し、右刺身包丁でその腹部を一回突き刺したが、加療約一か月を要する腹部刺創を負わせたにとどまり殺害の目的を遂げず、

第五  岩崎が部屋から逃げ出したのを追つて近くの商店街付近まで追いかけたが、途中で息切れしてしまつてそれ以上の追跡を締め、左隣り一七号室の村上方へ行こうとグリーンハウス二階の通路に上がつたところ、たまたま同二階二一号室前岡和昭方前通路に右村上方の主婦村上福代(当時四九歳)が立つているのを見かけたので駆け寄り、右刺身包丁で同女の胸部・左上腕部等を多数回突き刺すなどし、よつて同日午前一〇時二三分ころまでの間に同所ないし搬送先である同市天王寺区北山町一〇番三一号大阪警察病院において、同女を左上腕前部肩峰下部刺切破創・前胸左側上部刺創に伴う心臓刺通に基づく心のう血液タンポナーデにより死亡させて殺害し、

第六  さらに右グリーンハウス一階七号室勝浦一方に赴き、玄関土間にいた同人の長女千鶴(当時二〇歳)に対し、右刺身包丁でその頭部・前腕部等を多数回切りつけたり突き刺したりし、また所携の前記金槌でその頭部を強打したりしたが加療約三か月間を要する左耳介・左後頭部・左上腕・右大腿・左下腿・右手指切創、左大腿打撲、右前頭部挫創、左前腕刺創、頭部外傷第Ⅰ型の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、

第七  右千鶴が悲鳴を上げて助けを求めているのを聞きつけて飛び出して来た勝浦一(当時五六歳)に対し、右七号室玄関前において、右刺身包丁でその左胸部を一回突き刺し、よつて同日午前一一時三分ころ、同市住吉区万代東四丁目二五番地大阪府立病院において、同人を左前胸部刺創に伴う左肺貫通創に基づく出血失血により死亡させて殺害し

たものである。

なお、被告人は、以上の各犯行当時、長期間にわたる覚せい剤の濫用による慢性覚せい剤中毒(妄想状態)の上に覚せい剤の常用による急性中毒症状が加わつた精神障害のため、心神耗弱の状況にあつたものである。

(証拠の標目)<省略>

(被告人の責任能力について)

一証拠調べの結果によれば以下のことが認められる。すなわち、被告人は中学校卒業後職業訓練校に入つたもののわずか三か月でやめてしまい、それからというものは不良交友を深め、当時使用禁止になつた覚せい剤(ヒロポン)にそまり、家から金品を持出しては覚せい剤を買うことを重ね、このため計六回の少年鑑別所入所と計三回の少年院入院をくり返したのを始めとして、その後も数度の受刑生活を送つたり、その時々の生活に一時生きがいを見出すなどして短期間ないし数年間その使用を中断したこともあつたが、いつたん止めてもすぐにまた覚せい剤の常用に走ることをくり返し、同棲中の女性や昭和四一年ころからいつしよになつた前妻サダ子、昭和四四年ころに知り合つて肉体関係ができ、昭和四五年長男道広が出生したため、昭和四八年にサダ子と協議離婚して結婚した妻朱美らの売春婦等としての稼ぎに依存しながら(被告人は昭和四六年以降は勤労に従事したことがない。)覚せい剤の購入使用を長期間継続してきた。昭和四九年一〇月ころからは妻子などとともに東京で生活していたが、右のように覚せい剤の濫用を長期間続けたため、やがてその慢性中毒状態におち入り、それによる忘想から覚せい剤の売人三辻福道に代金を持ち逃げされたことに関連し、昭和五〇年七月二四日、妻朱美も右三辻と謀つて被告人を苦しめようとしていると邪推し、骨透包丁で同女の腹部等を数回突き刺して重傷を負わせるという殺人未遂等の事件を起こし、懲役三年に処せられて府中刑務所に服役することになつた。昭和五三年八月一七日被告人は仮出所して妻朱美と再び東京で生活することになつたが、以後被告人は同女の態度を冷たく思い、十分に愛情を感じとることができず、不満を持ち続けるようになり、そのくせ自分は勤労に従事することなく、同女をして売春婦として稼働させながら、すぐにまた覚せい剤の常用に走り、その慢性中毒と急性中毒とが相乗して、長年にわたり堅固な妄想体系を作り上げて行くことになつた。被告人は、右殺人未遂等の犯行前暴力団員である増岡茂からも覚せい剤を購入していたことから、警察でそのことをしやべつており、服役中刑務所内で増岡と出会つた際同人にそのことを弁別したところ、同人からは別に被告人を恨んでいないと言われたが、やはり気になつて後ろめたさが残り、このことが同人に対して被害妄想を抱く原因になり、また、昭和五四年ころ当時住んでいた青木マンションの家主のすすめで創価学会に入会したが信仰に身が入らず、かえつて御本尊を焼き捨ててしまい、このことによる創価学会に対する後ろめたさが、同学会関係者から迫害されていると思い込む原因となつた。このようなこともあつて、右仮出所後東京でのマンション生活や文化住宅での生活を続けるうち、被告人は中毒症状としての知覚過敏のため、天井の物音や近隣の話声が異常に気になり、創価学会関係者と増岡が一緒になつていやがらせをしているとの被害感を強め、再三転居をくり返した。東京を離れたらいやがらせが止むのではないかと考え、昭和五五年九月から本件グリーンハウス二階一六号室に移転したが、ここでも覚せい剤の使用を続け、したがつて近隣からの物音や話声には相変らず過敏であり、これを妄想的に自分に関係づけていやがらせをしているものと受取り、前記増岡や創価学会関係者らがグリーンハウスの近隣居住者や覚せい剤新規購入先の暴力団関係者らにまで手を廻わし、これらの者がぐるになつて被告人にいやがらせ、迫害を働いているとの妄想をつのらせ、日夜その被害感から来る苦悩を深めて行つた。

そして被告人は、右被迫害状況から逃れるため、再三グリーンハウスからの転居を企てたが、朱美に反対されて実現せず、その他同女はいやがらせされていることを理解してくれないとして、夫婦げんかをすることが多くなつた。昭和五六年一二月二〇日ころ朱美は睡眠薬を多量にのんで自殺未遂を起こしたが、被告人はその原因を、同女はいやがらせの一部始終を知つていながらそれを被告人に隠しており、被告人が問いつめるので板ばさみになつて自殺を計つたものと自分かつてに解釈したりした。朱美は同月二九日ころ退院したが、被告人はグリーンハウスにいる限りいやがらせが続くが、同女が転居を肯じないので、それならいつそのこと妻子と別居し、あるいは離婚したいとまで考え、昭和五七年一月中旬ころ福祉事務所員に相談したが、考え直すように説得されて、これも実現するに至らなかつた。また、創価学会に対する償いのため妻子を同学会に入会させ、被告人も妻朱美と会合に出るなどしたが、事態は好転することなく、同女が熱心に信仰しないことがこれまた夫婦げんかの原因になつたりした。このような経過を経て、被告人は妻朱美もまた被告人を裏切り、いやがらせの仲間に加担していると考えるようになり、また長男Mの言動などから、同人もまた被告人を裏切り、朱美と一緒になつて被告人を悩ませようとしていると妄想をつのらせ、日常生起するささいなことを妄想的に解釈して妻子に対する疑惑をも深めて行つた。一方被告人は、こうしたいやがらせの元凶である増岡を、東京へ行つて探し出し、殺してやろうと考えるようになり、同年一月二七日ころ刺身包丁を購入してその準備をしたが、兄から無心した上京費用を生活費や覚せい剤の購入代金に使つてしまつて実行には至らず、しかしその後は右刺身包丁をいつも身辺に持つようになつた。

そうこうするうちに被告人は、本件犯行当日朝、判示のような経過を経て一気に逆上し、次々と本件犯行に及んだものであるが、その犯行の動機は、以上のように多年にわたつて作り上げられてきた妄想体系のなかで、自分の周囲の人々から迫害され、さまざまないやがらせを受けて筆舌につくしがたい苦悩を受け続けていたところから、こうした主観的な苦境から解放されることを欲し、そのいやがらせを加えている人たちを殺害して復讐しようとしたところにあり、また大事件を起こすことによつて自分が受けた迫害体験を警察に取り上げてもらい明らかにしてもらいたいという心理も働いていたと認められる。

二以上にみたとおり、被告人は一五、六歳ころから覚せい剤を打ち始め、その後一時的な中断があるとはいえ、本件犯行時にいたるまできわめて長期かつ持続的にその濫用を続けたものである。この間ことに若い頃には、覚せい剤(ヒロポン)を多量かつ頻繁に使用した結果電柱が人に見えるとか、不安・恐怖を抱いて逃げ回り数時間後にハッと気がつくなどの知覚障害(錯覚)や意識変容などの体験があり、その後はそれほど激しい使用をしなくなつて右のような異常体験にみまわれることがなくなつたものの、昭和五〇年の妻に対する殺人未遂事件当時から長期間持続し体系化される妄想が生じるようになつた。この妄想の確信の強化と範囲の拡大には薬物の与えた知覚への影響が二次的に大きな役割を果たしており、とくに遮音設備の乏しいアパート等で隣人たちが実際に立てている騒音や話し声などが異様に大きなうるさい音として知覚されたり、話し声が自分のことを噂したり呼んだり陰謀をめぐらしたりしているように聞こえるので、被告人はこれを「いやがらせ」と感じ、苦悩感・被害妄想を増強させていつたのである。具体的には、覚せい剤関係者の三辻に対する不信、それに関連しての妻に対する疑惑、覚せい剤関係者増岡茂に対して「すまないことをした」という後ろめたさとそれに由来する被害妄想、創価学会に対する不義理や罪障感とそれに由来する被害妄想、さらに妻に対する依存欲求・支配欲求とその不満に由来する疑惑と怒り子供に対する疑惑などが主軸となり、これにその時々の生活環境で被告人に関係する隣人や覚せい剤関係者などの挙動を巻きこんで、被告人の妄想はしだいに大きなまとまり(妄想体系・妄想構築)を形成した。被告人には内因性の精神病、脳梅毒・進行まひなどの中枢神経梅毒、その他の器質性精神病の存在は否定されるが、本件犯行当時被告人は、右のように長期間にわたる覚せい剤の濫用によつてもたらされた慢性覚せい剤中毒の状態(妾想状態)にあり、かつそれは当時も常用を続けていた覚せい剤の急性中毒症状としての知覚の過敏・変容によつて増悪され、堅固に体系化された、自ら批判してその誤りを覚ることが不可能な被害的妄想体系(妄想構築)を作り上げていたものであり、本件各犯行は、これによる被害感に日夜苦悩を深めていた被告人が、これから逃れるべき方法を被告人なりに種々模索したのち、ついにこうした確信度の強い被害妄想(病的精神状態)に動機づけられて起こしてしまつたものであるといわざるを得ない。

三しかしながら、証拠調べの結果によれば、

1  覚せい剤中毒者の精神状態は、幻覚や妄想などの精神病的症状がある場合であつても精神分裂病の場合のように人格の中核が冒され、思考の障害や感情の鈍麻・荒廃などのため行為の是非善悪の判断や抑制力が失なわれたりするのとは異なり、人格の中核が冒され難いのが特徴的であつて、妄想以外の点では思考障害(連想弛緩・支離滅裂など)が認められずいわゆる分別は保たれていることが多く、また感情鈍麻なども起こらないため情性(人間的感情)による行為の抑制が期待されうると考えられていること。そして被告人においても、行為の是非善悪を弁識する能力に平素から大きな障害があつたと考えるべき根拠はないこと。

2  被告人に明らかな幻視・幻聴などが存在し、かつそれが犯行の動機となつたと考えうる根拠はなく、犯行を命令・指示する幻声や、やらなければ自分がやられると考えうる状況を幻覚したわけではないこと。すなわち、主観的に被告人をとりまいた前記のごとき被迫害状況も、たとえばいわゆる包囲攻撃状況のごとく、被告人の生命や安全を直接におびやかす性質のものではなく、被告人は、さし迫つた危機的状況に追いこまれて反射的に行動したわけでもないし、幻覚・妄想などの病的体験に支配され、これに威嚇されたり命令されたりして受動的に行動したわけでもなく、本件各犯行は、不快で不本意な状況の持続に対して被告人がむしろ能動的に選択した行為であるとすら言えること。

3  被告人は、意思欠如・情性欠如・自己顕示性・爆発性の複合型精神病質者であると認められるところ、右のような行為の選択には、薬物の影響による衝動性の亢進などよりも、むしろ被告人のこうした生来の異常性格(とくに情性欠如性・爆発性)がもつとも大きな役割を果たしたと考えられること。すなわち本件犯行は、たとえば分裂病者が幻覚妄想に基づいて行つた行為のように人格異質・人格疎遠なものではなく、むしろ人格親和的な行為であつて、被告人の人格が責任を負うべき部分が全くないなどとはとうてい言えないこと。

4  一方、犯行自体についての概括的な記憶は保たれており(被告人は本件公判や鑑定時において、妻とテープ云々のやりとりをした後何が何だかわからなくなつて犯行を続け、勝浦らに「人殺し」と言われてハッと我に帰つたと述べ、この間意識障害があつたかのように主張することがあつたが、捜査段階では当初から本件犯行の経過を記憶のない部分は記憶がないとしてほぼ正確、詳細に供述し、公判や鑑定時にもときによつてはこの間の記憶を述べることができたのであるから、右主張は単なる弁解に過ぎないと考えられる。また大量殺人という行為の重大性や行為自体の運動量の大きさからして、必然的にある程度の興奮状態をともない、その結果記憶の細部に欠落などが見られ一部に誤りを生じることがあつても、それはむしろ当然のことであり、異とするに足りない。)、犯行経過中における被告人の行動も、その動機に即してみればきわめて敏速かつ合目的で、周囲の状況もかなり正確に把握して反応しているということができ、途中でいちじるしい健忘を残したり、外界の認知がいちじるしく障害されて誰彼の区別がなくなつていたりしたということはなく、迫害者たちを皆殺しにするという意図は終始失われていなかつたとみるべきであつて、犯行当時もうろう状態などいちじるしい程度の意識障害があつたとはとうてい考えられないことなどの諸事情も認められる。

四そこで以上で検討したところを総合して判断すれば、本件各犯行当時被告人は、行為の是非を弁別する能力には大きな障害はなかつたが、長期間にわたる覚せい剤濫用に起因する慢性覚せい剤中毒(妄想状態)の上に、当時常用していた覚せい剤の急性中毒症状としての知覚の変容・過敏などが加わつた精神障害のため、右弁別に従つて行動する能力がいちじるしく障害され、心神耗弱の状態にあつたものであり、かつ弁護人が主張するように心神喪失の状態にまでは至つていなかつたと解するのが相当である。

(累犯前科)

被告人は、昭和五一年四月一六日浦和地方裁判所川越支部で殺人未遂、傷害の各罪により懲役三年に処せられ、昭和五三年九月一七日右刑の執行を受け終わつたものである。右事実は検察事務官近藤明作成の前科調書及び右裁判の調書判決謄本によつてこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示第一、第三、第五及び第七の各所為はいずれも刑法一九九条に、判示第二、第四及び第六の各所為はいずれも同法二〇三条、一九九条にそれぞれ該当するところ、本件は慢性覚せい剤中毒の影響で日頃から妄想状態にあつた被告人が自分の捜していたテープのことで妻の拒否的な態度にあつたことをきつかけとして突然刺身包丁で妻子に凶行に及び、さらに近隣居住者にも次々に襲いかかつてその結果瞬時にして四名の尊い生命を奪い三名に重傷を負わせたという大量殺傷事案であつて、犯罪史上まれにみる凶悪な犯行である。何の罪もない被告人の妻子や近隣居住者が次々被告人の凶刃に倒れ無惨に殺傷されることにより、犯行現場のグリーンハウス一帯は平和な日曜日の朝が一転して修羅場と化したのであつて、悽惨きわまりない事件というべきである。その犯行態様は刃体の長さ約二一センチメートルの有尖鋭利な刺身包丁で各被害者に対しいずれもその胸部・腹部等身体の枢要部をめがけて力まかせに突き刺し、ことに抵抗力の弱い女性に対しては文字どおりめつた突きにするなど冷酷、残忍、非道であり、また犯行の動機の形成には慢性覚せい剤中毒による年来の被害妄想が大きく影響しているとは言つても、これは被告人自身がきわめて長期間にわたり法を無視して覚せい剤を使用し続けた結果であつて、言わば自ら作り出した状況に他ならずもとより有利に斟酌すべきものではなく、そのほか本件が付近住民をこのうえない不安と恐怖におとし入れ、社会に深刻かつ重大な影響を与えたこと、被告人の既応の前科前歴、日頃の不真面目な生活態度等を考慮すると被告人の刑責はきわめて重大であると言わなければならない。そこで以上の諸点を前提として刑の選択を考えるのに、被害者松本静子は貧しい家庭に育ち旅館や小料理店で働いたのち昭和四九年ころ岩崎秀雄と知り合つてようやく幸福な生活ができるようになつていたもの、村上福代は左足が悪く(身体障害者二級)、夫も全盲であるというのに生活保護を受けず気丈に働いて一家の生活を支えていたもの、勝浦一は交通事故にあつて働いてはいなかつたが家事等をこまめに手伝い親子四人で幸福な生活を営んでいたものであつて、これら三名は言わばふつてわいたような突然の惨事により苦痛のうちに非業の死を遂げたのであり、被害者自身や遺族の無念な心中は察するに余りあるから、右三名に対する各殺人罪(判示第三、第五及び第七の各罪)については被告人に精神障害さえなければ本来極刑をもつて処断すべきものというべく、したがつていずれも死刑を選択し、また妻朱美は以前にも被告人に殺されかかつたことがあり、被告人のため多大の犠牲を強いられた生涯を送つた末ついにその生命まで奪われたことはまことにあわれというほかないのであつて、同女に対する殺人罪(判示第一の罪)については無期懲役刑を選択し、各殺人未遂罪(判示第二、第四及び第六の各罪)についてはいずれも有期懲役刑を選択するが、判示第二、第四及び第六の各殺人未遂罪は前記前科との関係で再犯であるから、刑法五六条一項、五七条により同法一四条の制限内で再犯の加重をし、以上は心神耗弱者の行為であるから同法三九条二項、六八条一号、二号又は三号によりそれぞれ法律上の減軽(判示第三、第五及び第七の各殺人罪についてはいずれも無期懲役に減軽)をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるところ、犯情の最も重い判示第五の村上福代に対する殺人罪につき無期懲役に処すべきものとし、同法四六条二項により刑を科さないこととして被告人を無期懲役に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中二五〇日を右刑に算入し、主文三項(1)の刺身包丁は判示第一ないし第七の各犯行に、同(2)の金槌は判示第六の犯行にそれぞれ供した物で被告人以外の者に属しないから、同法四九条一項、一九条一項二号、二項を適用してこれを没収し、訴訟費用については刑訴法一八一条一項但書を適用してこれを被告人に負担させないこととする。

もつて主文のとおり判決する。

(岡本健 松本芳希 永野厚郎)

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